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スピニングガレージ

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HOME > ゴルファーズ > 探訪記 Vol.2.「どうしてゴルフⅡなのか」 2012/12/30
VOL2 どうしてゴルフⅡなのか
宮城県気仙沼市 小野寺貞雄さん

 


【 SHOWCASE 】

朝の気仙沼湾を2台のゴルフⅡが走る。 先行は、小野寺貞雄さんのゴルフⅡアーバンエリート。 続いて、田中店長運転のゴルフⅡ。  
気仙沼湾は、東日本大震災と津波によって壊滅的な打撃を受けた。 報道映像で、湾内を暴れる多くの漁船群や鹿折地区の火災をご覧になった方も多いだろう。 被災から15か月が経過した今 (2012年6月時点)でも、復旧とは言い難い状況の中、私たちは気仙沼でも数少ない DJ – BAR を展開していた、「SHOWCASE」に向かっている。 小野寺さんが立ち上げたお店だ。 
工事中の魚市場を横目に、数百メートル過ぎたところで車は止まった。 コンクリートむき出しの2階建てビルと思われる一角に、目指すお店はあった。 入口の木製ドアは当時のままだが、配線や配管が飛び出ている。

「ちょうどここにDJブースがあったんです。」小野寺さんは静かに口を開いた。 「壁や天井も防音加工していたんですが、全部なくなりました。」唯一残った片手に収まる店看板を手に、当時のお店の様子を問わず語りしてくれた。 「店長も亡くなりました。」

日本屈指の港町とはいえ、若者の集う場所は限られていた。 そのまちで始めたSHOWCASEは、数少ない文化の発信拠点だっただろう。 ここには、音を楽しみ、酒を酌み交わす、確かな人の交わりがあった。 
世界中どこでも若い人間が集う場所には、喧騒と熱気と猥雑さが同居する。 
そのエネルギーは、そこが無人になっても残る。 例えぼそれは、夕暮れに母校を訪れた時のような気配だ。 例えばそれは、秋の浜辺の気配だ。 静寂の中にこそ、その価値が再発見できる。 それが、私の見たSHOWCASEだった。


【 被災地 気仙沼 】

小野寺貞雄さん。 地元住まれの地元育ち。 数年前に父親を亡くし、家業のフカヒレの加工業を継いだ。 本業の傍ら、DJBARを立ち上げていた。 その矢先の大震災だった。 

気仙沼は全国でも有数の水揚げを誇っていた。 リアス式海岸は天然の良港、親潮と黒潮がぶつかる沖合から、海の恵みを授かった。 東北最大の有人島である大島にも守られた穏やかな内海では、多くの養殖イカダが浮かんでいた。 
海の男たちは、三陸特有の大漁歌ドヤ節を高らかに歌い、夜はお互いの無事を祝い、飲んだ。 遠洋漁業出港の朝は、妻も飲み屋のママ達も一緒に波止場に並び、航海の無事を祈った。 気仙沼港は同時に、製氷と加工の技術が進んだ。 
海岸線を数キロに渡って製氷工場と加工会社が整然と並んだ。 東北有数の港は、加工技術も高い評価を得ていた。 それらも全て流された。 加えて、湾内の石油タンクから重油が流出し2日間燃え続けた。 市全域で70cmほどが地盤沈下した。 


人口7万4千人の気仙沼市の被害は甚大だった。 死者行方不明者で1,306人。 
震災関連死は102名。 気仙沼市民の50人に一人は生命を失った計算となる。 当然、家族・友人・仲間がいる。 今回の津波で被害の無かった市民は皆無だろう。 
4102ある事業所のうち、8割が被災した。 3566隻の船のうち3000隻が流失・破損した。


【 必死でやっていただけ 】

私は小野寺さんと待ち合わせて、話を閾いた。 
場所は 「気仙沼復興商店街 紫市場」。 地域でも有数の歓楽街だった南町。 その町に51軒の店が集まり、プレハブでの営業を始めていた。 

小野寺さんは、気仙沼でフカヒレ加工の会社を経営している。 前述のSHOWCASEは、本業とは別に経営していた。 この津波の被害で、加工会社は事務所を転々とし、対岸の唐桑半島にある知り合いの作業場を借りて営業再開をした。 私は、再開に向けた強い気持ちや復興への思いを聞けると思い、多少意気込んでいた。 
[筆 者] 「強い気持ちで再興を進めたんですか?」
[小野寺] 「いいえ、必死でやっていただけ。」
[筆 者] 「気仙沼の中でもかなり早い段階で事業再開をされたようですが…」
[小野寺] 「小さな会社だから、働かないと食べていけないだけですよ。」
小野寺さんは、私の浅はかなセンチメンタリズムなど入り込む隙間がないほど、リアルな現実を醸す答えを返してきた。 復興のために会社を再開したのではない、生きるために、従業員の生活を守るために必死になる。 それが、結果的に早期再開になっただけ。 

被災地の姿に、勝手にステレオタイプなイメージを重ねてしまう事例は多いが、今回もそれだった。 恥じ入った。 
そんな私の戸惑いも気にならないように、会話ははずむ。 小野寺さん、田中店長、友人の浅野さん、3人の共通の趣味はオ一ディオ、レゲエ、DJ・・・。 マニアックな会話が続く。 
そうこうするうちに、また一人会話に入ってきた。 小野寺さんの高校時代の友人と紹介された。 海岸清掃をするためにボランティア休暇をとって帰省してきた。 「小野寺君と飲むのが楽しみで帰ってきたんですよ」。 
小野寺さんは不思議な人だ。 強烈なリーダーシップを主張するタイプでもない。 とはいえ控えめな印象はない。 会話をリードする話し上手とも言えない。それでも人が寄ってくる。 現に今、この場に5人の大人がいて、小野寺さん以外は皆初対面。 要の小野寺さんは、それぞれを紹介すると、話の聞き役にまわる。 
そぅだ、彼は、プラットフォーム的な人なのだ。 架け橋なのだ。 あくまでも自然体で、人と人をつなぐ力。 それが小野寺さんの魅力なのだ。 仕事でも、クラブでも、友人関係でも、全部受け止めてくれる安心感がある。



【 どうしてゴルフⅡなのか? 】

そんな小野寺さん。 ゴルフⅡは初オーナーだ。 話は8か月前に遡る。 
なんと、工場再開の11月直前に、スピニングガレージに来店。 アーバンエリートを手にした。 
「とても忙しい時期だったと思いますが、それでも何か変わりたかった自分がいたんだと思います。 そんな時に、ゴルフⅡが目の前にあったのだと思います。」
どうしてゴルフⅡだったのですか?
「そこはわかりません。 なんでかなあ。」

ゴルフⅡを選んだ理由、好きな理由を問われて、明確に答えられる人はどのくらいいるだろうか? 答えに窮するオーナーもいるのではないだろうか。 
何でもそうだが、「好きな理由」を明確に説明するのは難しい。 様々な理屈をつけて 「・・・だから好き」「・・・だから選んだ」としても、それは他人を説得するための言葉かも知れない。 本当に、自分を説得するために言葉を選んでみる。 

どうして、ゴルフⅡなのか。 

一番シンプルで、賢明な言葉。 そして、誰もが納得する言葉。 
それは
「好きだから。 気に入ったから。 出会ったから。」

それ以上の説明は必要ない。



【 働くオバちゃん 】

取材の最後に、小野寺さんのフカヒレ加工場を訪問した。 
加工場には5名のオバちやんが作業していた。 テーブルにはフカヒレ。 小さなナイフで汚れを削いでいく作業。 「削いで、洗って、乾燥して」加工は幾重もの工程で進められる。 日本全国どこでもオバちやんたちは元気だ。 テレビの話、子ども達の話、天気の話から国際政治の話まで、途切れることない会話が続くが、手は動いている。 見事だ。 
今回の被災だけでなく、被災地にて総じて言えることかも知れないが、茫然とする男たちをわき目に、女たちは動いてきたという事実だ。 今回の被災でも同じようなことが言われた。 浜の女は働く。 幼少から親の姿を見てきたのだ。 働く汗が必ず報われることを遺伝子レベルで知っている。 それが気仙沼のオバちやんだ。 
そのオバちやんの働く場を確保したのが小野寺さん。 
働きたい人と働く場を創る人。 
親子ほど年齢差のある社長とオバちやんたちの復興の狼煙は笑顔と笑い声に包まれている。 

帰り際に、もう一度、聞いた。 
どうしてゴルフⅡにしたんですか?
「変わったのは、自分自身。 その時、ゴルフⅡを選びました。」
東日本大震災を経て、気仙沼は大きく変わらざるを得ない。 会社も変わっていく。再起動が求められる。 小野寺さん本人も変わることを決意した。 
そのパートナーとして、ゴルフⅡが選ぼれた。 

多弁でもない。 雄弁でもない。 しかし、多くのことが伝わってくる。 
小野寺さんとゴルフⅡは、どこか似ている。 
どうしてゴルフⅡなのか、その答えが見つかるのは、ずいぶん先のことかも知れない。

 

文章:菅原直志  写真:田中延和

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